はじめましての人へ。ENOCKEYについて

当サイトにお越しいただきありがとうございます。

ENOCKEY.COMはえのっきー/榎大輔のポートフォリオ兼ブログメディアです。

フリーランス生活、クリエイター活動、お金のこと、日常の考え、出来事を「ひとりぼっちの人が自由に自分のやりたいように生きれる世の中にしたい。」というテーマのもと発信しています。

せっかくここまできていただいたあなたには当サイトEnockeyについて少し説明させてください。

POLICY

自分の大切なものに気づく

改めてEnockeyのページをご覧いただきありがとうございます。当サイトの執筆者のえのっきーです。
今このページを閲覧いただいているということは何かしらの関心の元にご覧いただいているかと思います。

ここでは、なぜ、ぼくが自分の大切なものに気づくということをうたっているのかというお話をさせてください。

そもそも、人間って生まれてから死ぬまで

その人がいい顔をして楽しく生きられるようなサポートをできるようにがんばります。

MY POLICY

ひとりぼっちの味方で居続けること

ここでは、ぼくがなぜ、ひとりぼっちの味方で居続けるということを大切にしているかというお話をさせてください。

済美高校野球部での出来事

高校時代がひとりぼっちの味方で居続けると決めた原点。

済美高校を少し紹介すると2018年夏の甲子園ベスト4まで進んだ高校野球の名門校。ピンとこない人は史上初となるサヨナラ逆転満塁ホームランの試合で勝った高校と聞けば思い出せるのではないでしょうか?

ぼくはその野球部に特待生で入学。ピッチャーとして期待をされている野球少年だったのです。ですが、入学当初からけがをしてしまい、練習に参加ができない状態が続く毎日。

さきにいっておくと度重なる怪我の影響により、最後にはひじも壊してピッチャーをできなくなってしまいました。

かろうじて、ベンチ入りを果たすことはできましたが最後までピッチャーとして公式戦登板がないまま終えてしまう高校野球生活でした。

何もできず悔しくてしょうがなかった

そんなけがをしたぼくをみる周りは

「えのきはいつもらくそうだ」

「〜ができていない」

と、常に銃口を向けられている感覚に陥るような言葉が飛んできました。

 

それは日に日にエスカレートし、上級生からは手伝いが遅いとかなんとかで、練習後部室や室内の球場に呼ばれ暴力行為をうけることになったんです。

 

ビー玉を詰めて殴られたり、地面に顔を押し付けて足で上からおさえられたりその当時の記憶が今でもフラッシュバックします。

 

また、グランドだけでなく、学校では同級生からも嫌がらせとして母手作りのおにぎりをキャッチボールされたのも本当に悔しかった。

 

もちろん、「けがをしたくてしたわけじゃない」と言い返したこともありましたが、練習をしていない自分には立場がありませんでした。

 

そうなると、どんどん孤立していき、いつのまにかひとりぼっちになっていたんです。

 

今思えば済美高校は全国で指折りの練習量で、練習時間だけでなく、練習内容もびっくりするような高校でした。

 

当時四国の昔ながらの野球を牽引する上甲監督の元、うさぎとびや、ペッパーと言われる昭和のど根性野球が繰り広げられていたのです。

 

なので、そんな野球の理不尽さに皆が不満をもっていたことは事実。

 

そのはけ口として、怪我をしてグランドで手伝いして楽そうにみえるぼくに当たってしまう背景を今になって理解することができました。

ただ、当時はけがした自分がどうして責められなければならないのか、そしてなぜ殴られなくちゃいけないのかその理不尽さに悔しくてしょうがないと思いながら過ごしていたんです。

 

それでも野球を続けられた理由

すぐに野球をやめればよかったかもしれませんが、特待生入学したという理由での学費免除、母子家庭であるという状況からやめないことは自分に約束していました。

正直、毎日次の朝を迎えるのも嫌で嫌でしょうがなかったぼくが、なんとか野球を続けられたのは一人の同じ野球部員と母の存在でした。

彼はたまたまだったかもしれないが、ひとりでいるぼくをみつけると一緒に帰ってくれる。

母は何も言わずに夜遅く帰ってくるぼくのごはんを作って待ってくれていました。

特別なことではないのかもしれないけれど、そこにいる存在を感じるだけでぼくは救われたんです。

もし、あの時、野球部の友達や母の存在がなかったら今こうやって生きていたのだろうか。

そう思い返すぐらい毎日の暗闇をさまよっているなか、味方にいる人の存在に心の底から感謝することになりました。

 

ひとりをまもる人間になりたい。

味方だと思う人の存在のありがたさに感謝すると同時に


「自分もひとりで辛い思いをしている人だけは見捨てないし、絶対に守ろう」

そう強く決意し、今まで生きてきました。

今は体制も代わったはずですが、ぼくらの時代になっても後輩をボコボコにする風習が漂っていました。

同級生に殴られる怖さはありましたが、その信念だけは強くもっていたので、見かけたらなるべく止めに入りました。

案の定やられたこともありますが、決意したことを心の奥底でずっと大切にして生きてきたんです。

 

ひとりぼっちの人が自分のやりたいように生きれる世の中にしたい

ここがぼくが夢見る世界です。

そのために誰よりもぼくが生き抜く姿をみせていかなくちゃいけない。声が届けられるようにならなくちゃいけない。その現状を救えるような情報をちゃんと伝えたいです。

そして、

ひとりぼっちの人が自由に自分のやりたいように生きれる世の中にしたい。

またその先で今度はひとりぼっちの人を救える優しさを持った人が世の中に一人でも多く増えて欲しい。

実現することで世の中がきっといい方向に向かうと確信しているのでひとりぼっちの味方でい続けるということを使命とし発信し続けます。

えのっきーはなぜ笛をつけているのか

えのっきーといえばホイッスル。そうイメージしていただけるようになったのでいたるところで自分を表すときに「ホイッスルの人」であることを謳っています。ただ、最初から「ホイッスルの人」になるという狙いがあったわけではありません。

 

もともとはファッションアイテムのひとつ。大学生の時足繁く通った古着屋さんでみつけたものでした。「これいいですよね?」オーナーさんにも「だいすけにはあいそうやな」と言ってもらい、ぼく自身もイケてると思ってホイッスルをつけはじめました。しかし、ホイッスルをつけたぼくをみる皆の反応は予想外。

 

「なんで笛やねん笑」

「体育の先生かよ!」

ツッコミの嵐がまきおこったのです。

(いじられまくった写真はこちら)

 

ホイッスルがイケてると思っていたぼくからすると複雑な気持ちでした。ですが、良くも悪くもホイッスルの人というイメージがついたので、人が集まる場所に行く時はなるべくホイッスルをつけるようになったんです。

 


(ホイッスルな自分を写真家の鈴木心さんに撮影していただいた写真。)

いつのまにか、ホイッスルに愛着がわいてきました。

言葉にならないときでも自分の声があげられるし、
ホイッスルが鳴るまで試合は続いているというのが人生に例えられるし

 

ぼくがひとりぼっちの味方でい続けるという人生ミッションにも通ずるとかがあるなと思うわけです。
 

完全な後付けにはなりますが、これからもホイッスルの人として活動していきます。

 

WORKS

WORKSというページを見られた方はお気づきかもしれませんが、写真家、映像作家、営業、とある会社のPMでのお仕事を含めて様々な活動で生計を建てています。

WORKSではそれらの実績や、制作物、いま出来ることを集約しています。

写真

写真は、依頼してくださった方が必ず持っているポジティブな気持ちに着目して、その対象の一番良いを引き出すことを心がけて撮影しています。

家族写真、ウェディング前撮り写真、七五三、お宮参り、プロフィール写真などの人物写真が得意です。
最近は、イベント、建築物、企業webサイトで使用する写真などを含めた企業さん相手のスチール撮影なども担当しています。

映像

こちらは実績を積み重ねている最中なので準備出来次第公開します。

 

CONCEPT

自分が大切にしたいものを知る

Enockeyにとって自分を知ることが自らの人生に熱中するためのスタート地点。その自分を知るためには自らが動き、さまざまな価値観や情報に触れる経験が必要だと考えています。そこから取捨選択し、削ぎ落とされて残っていくものこそが自分を知るためのピースになると思うのです。その自分を知るための多くの情報や価値観、経験に触れて1つの行動に繋げてもらうための手段としてEnockeyを発信していきます。

 

MISSION

自分が大切にしたいものに気づく

自分の大切にしたいものに気づけば、自分にとっての本当の幸せが見えてくる。その重要性を知っていただくため、このサイトを運営しています。これさえできていれば幸せだと思うことをマイフォルダにまとめておく。もちろん、それがお金になるほうがいいことは前提です。しかし、自分の幸せを知りそれができていれば万が一お金にならなかったとしても幸せなのだから十分なのかもしれません。Enockeyという存在を通して、1人でも多くの人に自分の大切にしたいことを知ってもらい、自分の本当の幸せに気づいてもらうことが使命です。

 

VISION

自分の大切なものに熱中する仲間を創る。

自分の大切なものを知っているからこそ、限られたこの人生という時間の中でやるべきこと、やりたいことが使命のようにみえてくる。仲間と生きる、この作品を作る、この課題を解決する。なんでもいいと思う。とりあえず、個人個人がいい顔して楽しく生きられたらそれでいい。ぼく自身は過去の自分を思い出すように、ひとりぼっちの人の味方で居続けられるように生きていきます。