対象に愛を抱くというのは、いつか失ってしまう可能性がある。
だからこそ、愛は自分が常に世界とどう向き合うかという方向性だと認識したほうがいい。
1人の人を愛することは素晴らしいけど、それで苦しめられている人はこの考えを頭の片隅に置いておくと楽になる。— えのっきー/榎大輔 (@enockey0612) 2019年1月29日
愛とは対象に抱くものではない。自分が世界とどう向き合うかという方向性だ
愛ってなんだろう?誰もが一度は抱く疑問。
ぼくも人を愛するということについて考えたことがあった。
でも解決しないし、1つ疑問に思ってたことが以下
愛はその人がいなくなると消滅しちゃうものなの?
そんな疑問をもっていたぼくにヒントを与えてくれたのがこの本。
読んでみて、自分の思う疑問を解決してくれるものだったのでぼくの考えと照らし合わせてご紹介します。
愛は常にある
もともと人を好きになり、大切にしたいと思う気持ちが芽生えるこれこそが愛だと思っていました。
好きだという恋から始まり、付き合うことでよりその人を知り、恋から愛になる。
でも、愛という言葉を考えれば考えるほど、その対象だけに限られるものではないと思うようになっていったんです。
もちろん、人それぞれの愛の答えがある。
しかし、対象だけでなく常に愛は自分が携えているものだとぼくは思います。
愛は自分に対してだということ
よく、「愛は相手があるから成り立つものでしょ」とか、「愛は誰のためにあるの?」っていう問いがあるじゃないですか。
でも、ぼくが考える愛は全て自分から生み出されるもの。
なぜなら、周りのことは自分でコントロールすることができないからです。
愛する人がいないから?ものがないから?愛がないってわけではないじゃないですか。
だからこそ、愛は自分の中にあるものだと認識しています。
経験を通して、自分の愛を知る
自分の中で愛を生み出すためには経験が必要です。
なぜなら、生まれた瞬間に愛とは何かを知らないからです。
例えば、生まれた瞬間に愛を知ってたよっていう赤ちゃんがいたらびっくりするじゃないですか。
つまり、生きていく中の経験を通して愛を知っていくということになるわけです。
無償の愛に気づく
愛は経験で知るということはもうその存在に気づいているはず。
つまり、ここまで読んでいる方には、もうすでに愛は備わっているのです。
なぜなら、無償の愛を今まで受けて生きてきたはずだから。
振りかえってみたら、誰もが人になにかをしてもらったり、助けてもらったりしてきました。
これって捉え方次第にもなりますが、愛だとぼくは思うんです。
ですが、これに気づくのって難しい。
この気づきで人生は大きく変わるはずです。
最後に
ぼくの愛はこんな感じ。
無償の愛に気づき、そこから自分がどう世界と向き合っていくかを決めること。
愛とは何かを考えている人の、少しでも参考になれば幸いです。
それでは、本日もありがとうございました。愛について語らせていただいたえのっきーでした。