誕生日を迎える誰もがまず認識しておいた方が良い2つのこと 6

よく、だれだれさんの生誕祭というように
SNSなどのタイムラインが賑わうことがある。

人の生まれた日がくるたびに、それがイベントとなり
コミュニケーションが生まれるというのは
とても素晴らしい事であると思う。

例えば、それが全く知らない誰かだったとする。
それでも、誕生日ってことだけでおめでとうという
一言によって会話が生まれるからすごいよね。

ぼくのなかで、この光景を目にする瞬間は今の時代に
今日も平和だなと感じるひとときかもしれないなと思う。

 

そんなこんなで今日の本題としては、誕生日を迎える誰もが
まず認識しておいたほうが良い2つのことというお話です。

前提として、決して誰かの誕生日を祝う事を
否定している訳でないということは理解して
聞いていただければありがたいです。

 

1つめが、誕生日を迎える側は祝われる事を
期待しないほうがいいということである

今やLINEのタイムラインにもだれだれさんの誕生日
ですという通知が毎日のように目に飛び込んできます。

これは誕生日だけに限らない。
インターネットの普及により個人がどこにいても
可視化されていることが影響している。

そして、その情報を見た時に人は
自分とどうしても比較をしてしまう。

そうなると、例えば、あの人のタイムラインでは祝われているのに
ぼくは祝われていない等の事実を確認してしまうことになるのだ。

そういう光景をみたときに、誕生日を迎える側が
誕生日で祝われる事を期待してしまっていると、どうしても
ネガティブな気持ちに沈みがちになるのだ。

したがって、誰もが迎えるこの誕生日に対して
迎える側は基本的に期待をしないほうが健康にも良い。
祝ってもらえたらラッキーぐらいの気持ちでいるのがちょうど良いと思う。

 

次に2つめに認識しておいた方が良いこととして、
そもそも、誕生日というものを正しく捉えられているかということである

もちろん人それぞれの意見はあると思うが
決して誰かの誕生日を祝う事を否定している訳でない
ということはご理解いただきたい。

その正しく捉えるというのは、誕生日を迎える本人が
祝われる側であると思い込むのではなく、
産みの親に対して感謝の言葉をかけるなり、想うなり、
こちら側がアクションを起こす側の人間
だと捉える事である。

要は、受け身の立場でなく自発的な立場でいるということである。
これは基本的に人として生きる上で何をするにしても
常に意識したほうがいい大切な事だと思う。

ぼくらは生まれたときから当たり前のように
親や祖父母や友達から祝われている。

その影響からか、誕生日は自然と自分は
祝われる側というポジションをとっちゃってはいないだろうか。

多くの人は、例えば社会人になって親の元や友達と離れると
その祝われるという行為が当たり前じゃなかったことに気付く。

そこに、このネット社会に可視化された空間があることで
人と比べ、今まで当たり前のように祝われてきた誕生日との
ギャップでより悲しくなるというのはよくある話なのだ。

自分自身でも、最後にもう一度誕生日について考えてみてほしい。
誕生日=自分が祝われる立場みたいになっていることに対して
違和感を感じるのではないだろうか。

なぜなら、生まれたのはまぎれもなく親が産んでくれたからであるからだ。
改めて言うが、その親に対して感謝のアクションを起こすことが
誕生日を迎えた側の本来の役割だとぼくはおもう。

 

このように誕生日を捉えられるようになってから
うまく距離をとって自分の計画にとことん向き合い
集中できるようになったので、誰かの参考になれば嬉しいです。

 

それでは、今日も1日がもう少しで終わりますが、
もうちょっとがんばります。

またね。

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Enockey(えのっきー) 現在は、都内のIT企業でエンジニアを目指して働いています。 趣味はピアノです。 プルデンシャル生命/フリーランスフォトグラファー/関西大学/済美高校野球部
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